「丁寧に人生を生きるお手伝い」をするための努力
午前5時。冬であればまだ陽の光もない寒い朝。
高津克治は自らのスロービジネスにむけた3時間の努力を開始する。彼が志向するスロービジネスの実現には、複数の要素の融合が必要で、そのために必要な勉強や実習を、早朝に行うのだ。高津がそんな努力をするようになって、もう2年半がすぎる。
高津にとっての必須科目はキャリアコンサルティング、ファイナンシャルプランニング。さらにコーチングの三つ。いずれも相談業務だが、それぞれで相談のテーマが異なる。
「キャリアコンサルティング」とは「自分に適した仕事・働き方を探す」ための相談。「ファイナンシャルプランニング」とは、「お金の観点から、自分と家族の生活の将来展望を作り上げていく」ための相談。そして「コーチング」とは「自分らしい暮らし方(本当にやりたいこと)の実現に向かっての行動支援」となる。それら三つの相談業務を三位一体的に融合させ、「丁寧に人生を生きるお手伝いをする」というのが、高津が目指すスロービジネスの核心だ。
ここで重要なのは、「仕事」、「お金」、「本当にやりたいこと」、という三つの視点から、より丁寧な暮らし方・生き方を探していくという、その発想だ。それをすることで導かれる幸せな営み、仕事、生活への確信こそが、高津のスロービジネスの種であり、ワクワク感の源となる。
「なんとなく」入ったSBSが
自らの幸せについて考えるきっかけに
その発想を得るのに、「スロービジネススクール(以下、SBS)という場がとても重要だった」と高津は語る。入学当初、高津がスロービジネスという言葉に抱いていたイメージは、「フェアトレードっていいかもなあ」というものだった。その理由も、「SBSの発起人である中村隆市さんがやってることだから」というもので、この時期の高津に自分なりのスロービジネス像はない。
SBSにしても「これがあなたのスロービジネスだよ」と、何かを教えてくれるわけでもない。SBSが高津に提供したのは、「自分のスロービジネスとは何なのか?」という問いかけと、それを考えるための時間だった。「合宿や、SBSの仲間と顔をあわせて話す機会を通して、自分のやりたいことを考える。その後、さらにひとりになって振り返る時間が、自分のスロービジネスに気づく為の土壌を形成していたと思います」と、高津は言う。
高津にとって自分のスロービジネスについて考えることは、自分にとっての幸せを考えることと同じことだった。出世を目指し、より多くの権限と収入を得ようとする自らの姿勢に違和感を持つようになっていた高津は、自分の本来あるべき姿を探すべく、 自分との対話を重ねた末に、昔から心に抱き続けていたある想いに気付く。それは、「幸せとは、一歩一歩進んでいけば必ず得られるもの。簡単ではないが、絶対に得られるもの。きちんと状況を整理整頓して、やるべきことを明らかにしていけば、夢は必ず実現する」。
夢に向かっていく人の手伝いをして
幸せになる人が増えたなら
いつから抱いていたか分からない、そんな内なる確信。それは日ごと強まっていった。だが、それとは裏腹に、高津のまわりでは、いとも簡単に自分のやりたいことを諦めてしまう人が増えていた。「多くの場合、本当に自分のやりたいことが、お金や仕事を理由に忘れられていく」。あるとき、高津はふと友人にそんなことを呟いた。人のなかに宿る「本当にやりたいこと」が、お金や世間体など、もろもろの理由や言い訳で消されていく悲しき世情への、納得できない想いが、そこにあった。
「もしも…」と高津は想った。「きちんと状況を整理して、生活の仕組みを整える手伝いを自分の仕事にできたなら。そして、その結果、幸せに生きる人が増えたなら…これほど幸せなことはない」と。
やりがい、お金、仕事。3つのバランスが取れた人生を導く
こうした経緯を経て、高津は自らのスロービジネスの構想を固めていった。もともと実際にモノを売買することよりも、物事がより円滑にまわるための「仕組み」を考える方が、自分に向いていると思い始めていた高津が着目したのは、人生をより丁寧に生きていくための「仕組み」だった。
「仕組み」とは、「物事の、組み立て、構造、機構」のこと。高津はそれぞれの人生の成り立ちを、「本当にやりたいこと」、「お金」、「仕事」という三つの視点から考えた。今も昔も、多くの人にとって、それら三つのことは悩みの種。今、この瞬間にも、そのせめぎ合いのなかで、たくさんの人が生きている。人によっては、「やりがい」に偏り、お金がついてこず、また「お金」だけを追うことに終始して、自分の仕事が見えてこない、。やりがい、お金、仕事という三つのポイントの設定により、人それぞれ様々な三角形が構成され、それらが組み合わさって形作られるのが、今の世の中。
そんな現状分析から導き出されたのが、フィナンシャルプランニングやキャリアカウンセリングを通して、お金や仕事の面で、様々な対応や選択の可能性を示しつつ、じっくりと丁寧なコーチングを通して、その人のやりたいことを明らかにし、5年ぐらいかけて、それが実現に至るまでのお手伝いをする、というスロービジネスの構想だ。
ネット電話「スカイプ」を通じてSBS学生へコーチングを実施
なかでも、高津が重視しているのが、「やりたいことを明らかにする」ためのコーチング。高津は今、そのコーチングを、SBS学生を対象に実践をしている。そんななかの一人、SBS学生4期生の和久愛子は、高津のコーチングを受けて1年になる。高津は東京、和久は京都在住だが、スカイプというネット電話を利用して早朝のコーチングが行われている。この1年を通して和久が得たものを調べると、コーチングの意味が見えてくる。
和久の職業を簡単に言うと「フリーのデザイナー」ということになる。だが実際は、写真の撮影から原稿書きまでこなしつつ、ウェブサイトのデザインを作り、同時に会計業務もして、さらに営業して仕事をとってくるという、自他共に認める「何でも屋」。そんな和久の仕事の実態は、彼女自身が考案した次の言葉がもっともよく物語る。すなわち「株式会社・じぶん」。
「じぶん」という株式会社をひとりで運営していく和久にとって、まず五体満足であることが必須条件。例えば、足を怪我したら、営業先や取材先にも辿り着くのも困難になる。何より重要な腕を複雑骨折しようものなら、デザインの仕事などできない。異が痛くっても仕事にならないし、心がふさいでいても…。
自らの手足、心、脳、内臓をフル稼働させて「自分」という株式会社を経営している和久は、ときに何もかも自分ひとりで背負い込んでしまうことも多々あり、「これでは、やばい」と思って受けたのが高津のコーチングだった。
人生の「コーチ」がいることで夢への実現は飛躍的に高まる
高津とのコーチングを通して和久が得たもの。それを、「認知力」と和久は言う。自分の状態を、客観的に把握する力。体調、そして心のおかしいところ。例えば、なぜか気持ちが落ち込んでいる状態があれば、まずその状態を認知し、次にその原因を探し改善をはかる。これまで一人でやらざるを得なかったその作業を、高津がコーチとして一緒にやってくれることで、和久は様々な角度から自分を見直すことができるようになっていく。
和久は言う。「結局のところ、本当にやりたいことなど、その時々の自分の状態で変わってくるんですね。自分状態というのをゴムボールに例える分かりやすいかな。バランスがとれている状態だと、ゴムボールは普通の球体なんだけど、自分に欠けていることや、必要なことがあったりすると、それがゴムボールのヘコみとなって現れる。そのヘコみこそが、自分が今本当にやりたいことだと気付くようになりました。」状況に応じて形を変えていくゴムボールのような自分。その変化の移り変わりを自ら認知していく。そうすることで、状況に翻弄されて自分を見失うことなく、すっきりした気持ちで仕事に向き合えるようになる。そんな自立的な力を、和久は高津とのコーチングを通して得つつある。
大きな目標を「自分のサイズ」に噛み砕いてみることから
自立的に、さらに自律的に、自分の生き方、仕事を整えていける人を増やしていくこと。それが、高津のスロービジネスに課せられた使命といえる。高津とのコーチングを通して和久が得た自分自身にたいしての認知力。そんな力を多くの人が培っていくことができれば、仕事の仕方や生き方を自ら見直し変えていける。そして、その変化の総体として、より良い社会が実現していく。
個々それぞれの、本当にやりたいことを埋没させることなく、どんどん開花させていく社会。それは、果てのない、遠い夢かもしれない。だが、高津は言う。「どんな大きな目標があっても、その大きな目標を細かく砕いていって、自分が必ずできると確信できる大きさの目標を目の前におき、それを達成していくことを繰り返していくことによって、大きな目標に近づいていけるということをこの2年半くらいの間で随分と実感しています。あとは、あきらめないこと。それと、いつも前向きでいること。自分を信じること。これも楽しく生活していくうえでの必須条件と自分の中では思っています」。
スロービジネスという言葉が社会から消える日を夢見て
あるとき、高津は友人にこんなことを聞かれた。「高津さんのスロービジネスを通して、何人ぐらい、そんな自律的な人が生まれるといいと想う?」。高津は笑って、こう応えた。「そうだね。全体の10パーセントぐらいかな。僕が地道に活動していくうちに、同じような価値観をもって社会を変えていこうという人が増えてくると思っているんだ。ちょうど、フェアトレードの輪が広がっていったように。それくらいの人が自分と向き合いながら暮らしや仕事を丁寧に作っていくことを楽しめるようになると、相乗効果でもっと加速度的に変わっていくと思う。やがては、みんな自律的になって、お互いがお互いのコーチのようになっていくんじゃないかな。そうなったらぼくのスロービジネスなんてなくなってしまうね。そう、フェアトレードもそうだけど、それが当たり前になったとき、スロービジネスという言葉自体もなくなるんだろうね」。
今朝もまた、高津は5時に起きる。そして、スカイプによるコーチングや、自分の仕事興しの為に3時間を費やす。それから、出勤する駅までの道すがら、今日もまた、自分の夢に一歩近づけたことに、喜びと誇らしさを感じて、彼は「ふふん」と幸せそうに微笑むのだ。柔らかい陽光のなかに、来るべき理想の社会像を描きながら。



