こんにちは、4期生の堤妙(旧姓:大和)です。
初夏の陽射しが強くなってきましたね。
風に吹かれながら、みどりの芽をみるとき、外を歩ける幸せに心がいっぱいになります。
祝日みどりの日を改め、昭和の日と改正された4月29日、
随筆家・おかべ岡部いつこ伊都子さんが亡くなりました。
岡部伊都子さん。
今日は彼女の著作、「出会うこころ」(淡交社・平成6年初版)を紹介します。
少し、伊都子さんの紹介をしましょう。
1923年大阪に生まれ、京の都から百数冊もの随筆を発せられました。
その内容は、美術、伝統、自然、歴史などを見つめた視線と、戦争、沖縄、差別、環境問題などに鋭く向けられた視線です。
そう双の手のひらで結んだおむすびのうまさを綴る『おむすびの味』で世に出て、
50年の執筆。
彼女の綴るエッセイは、暮らしの息づかいや喜びを書き連ねた、
まさに真摯に日々の営みを見つめるものです。
幼い頃から「これが健康という気分なんだ」と思ったことがない、
とご自身でおっしゃるほど病身のからだ身体を慈しみながら、
瞬間の急変を覚悟させられ、覚悟しながら生きてきた女性です。
弱いもの、という立場へまなざしがいく方でした。
死への覚悟、という点では、療養生活の長さだけではなく、戦争という、
ひとつの流れのなかを生きてこられたことでも、背負うておられます。
彼女が自ら記述している過去に、婚約者との戦渦の別れがあります。
婚約者に「この戦争は間違ってる、」と言われた伊都子さんは、
「わたしなら喜んで死ぬ」と言い、日の丸を振って送りだしました。
彼女は折に触れ、非情な自分と、そんな教育や状況をつくりだした国家と
民と自分自身を、綴るのです。
平和と、あらゆる差別、について、色をなして声をあげてきたひとです。
にんげんが少し笑って生きていく、ただそれだけのことを抱きしめるようにして
守ろうとされた方でした。
今回ご紹介する、「出会うこころ」は、冒頭、こんな記述ではじまります。
――なんとも、美しい雲を見ました。
長い長い間、見ることのなかった壮麗な雲の姿。
こんなみごとな雲の空がありますのに、どうしてこうも長く雲のゆききを
仰ぐことがなかったのでしょう……、
われながら、雲を見守らないでいた時間の無自覚さが惜しまれ、
悲しまれます。――(引用)
彼女の目は、雲にくぎづけにされ、雲からふと視線を上に下にとやると、
海がきらきら輝いて、水平線から天空にかけて、視野一面に雲が
連なっている様を見ます。盆地の京都では、出会えない、異なる雲の姿。
和歌山南紀の浜に立ちながら、いつこ伊都子さんは、福井と京都の間にまたがる、
若狭湾に想いを馳せずにおれません。
そこによろこび泳げる魚たち、そして、原発がきてから魚を食べていない
という地元の住民たちの声。
彼女は、こう綴っています。
――今日になって、すさまじい放射能を浴びた人びとの状態が明らかにされて、
成長できない小さな人びとの機能破壊、血液変化をテレビで見ます。
「未来」というのは、小さな人が大きく成長することではありませんか。
子が成長できない状態を、おとな社会が作っていて何が「未来のため」でしょう。?
(引用)
南紀日高町の浜に立ち、彼女は天然の宝を身体中で浴びます。
土地自身の天然の宝。
「金に換えがたい尊さ」として、しっかり人びとに抱きしめられている宝。
宝はそこにある。
金は稼ぐもの。そこにはない。でも、宝はそこにある。
「金に換えられん」ものを、どれだけ感じているか。
それこそが、豊かさ。
SBSのみなさんは、色とりどりの宝をもっているひとが多いですね。
宝の地図をもっている、そんな頼もしい方もいますね。
自分の宝の地図。
ぼちぼち手づくりしていきましょか。
きっと、伊都子さんは宝の山で少ぉし笑って亡くなられた、そう思うのです。
そして、宝の山を、遺していかれたと。
さよならは、彼女の別の著作「いつこ伊都子のしょくたく食卓」(藤原書店)
の言葉をお借りします。
――「ともかくも、今夜はおいしいものを食べてちょうだい。
あなたのいちばん好きなものを食べて、
それから、これからどうするかを決めましょうよ。
おいしいものを食べて、美しくお化粧をしてね。
それからよ、死ぬのは」(引用)
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